爆笑問題といえば、何を言い出すか分からない太田光さんとどんなボケでも鋭い突っ込みで返せる田中裕二さんのコンビですよね。
1988年に結成してから順調に売れて、今でもレギュラー番組で司会を続けるなど不動の人気です。
テレビやラジオに出ていると思わぬ内容で必ず笑わせてくれますよね。
そんな爆笑問題ですが、一時期芸能界を干されてほとんど仕事があなかった時代があったのをご存知ですか?
芸能界を干されてしまった理由と、驚きの復活劇をまとめました!
爆笑問題のプロフィール
太田光
- 生年月日 1965年5月13日
- 出身地 埼玉県上福岡市
- 血液型 o型
- 身長 170cm
田中裕二
- 生年月日 1965年1月10日
- 出身地 東京都中野区
- 血液型 B型
- 身長 154cm
田中裕二さんが背が低いのは知っていたのですが、太田光さんも意外と高くないんですね。
田中裕二さんの隣にいつもいるので、背が高く見えますね。
爆笑問題がテレビを干されていた理由って?
爆笑問題は、かつて事務所の独立問題でテレビを干されていました。
爆笑問題は結成してすぐにスカウトされ、太田プロに所属しました。
そして順調にテレビ出演を重ね、太田プロで若手のホープともてはやされました。
そして、1990年に事務所を離れて独立をします。
その原因は、外部の人間にそそのかされたためだそうです。
その人物に嘘をつかれて、ついていってしまったのです。
その人物は、
「自分は大物の芸能人を育てた」
「独立すればもっと自由に仕事ができる」
などと言い、独立をそそのかしたといいます。
後日、太田光さんは「ビートたけしのテレビタックル」に出演した際に、当時のことを話しており、
『俺がたけちゃんを育てた』って言うから、その人に付いて行ったんですよ。そしたら、後でたけしさんに訊いたら、『あんなヤツ、知らねぇよ』って
出典:excite news
と語っています。
独立後、テレビの仕事はすべて降ろされ、キー局のテレビ番組に新たに出演することはできませんでした。
芸能界の独立問題でいつも思うのですが、事務所が取ってきた仕事を降ろされるのは仕方ないとしても、
新しい仕事をさせなかったり、テレビ関係者も仕事を依頼しないというのは何とかならないのでしょうかね。
NHKとテレ東には出演していたようですが、かつてのような活躍は見られなくなりました。
干されていた時期は、太田光さんは引きこもり、田中裕二さんはコンビニのアルバイトと草野球にいそしんでいました。
爆笑問題復活!太田光代さんがすごい
爆笑問題の復活には、太田光さんの妻太田光代さんの力が不可欠でした。
太田光代さんは事務所太田プロで爆笑問題の同期でした。
太田光さんとは初対面から同棲をはじめ、1988年には結婚しています。
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その太田光代さんが1990年に爆笑問題のために事務所タイタンを立ち上げて、爆笑問題が少しずつテレビに出演できるようになったのです。
太田光代さんは、後にテレビ番組で当時のことを振り返り、
このままでは爆笑問題が無くなってしまうという不安に駆られて、事務所を立ち上げた。
と語ってます。
というのも、干されていたときの田中裕二さんがあまりに楽しそうに生活していたので、
お笑いを辞めてしまうのではないかと不安になり、焦って事務所を立ち上げたといいます。
田中裕二さんは、当時ミニストップ南阿佐ヶ谷店でアルバイトをしていて、
その様子があまりに楽しそうで生き生きとしていたそうです。
さらに、友人の伊集院光さんが田中裕二さんに
「干されるってつらいですか?」と聞いたら、
「思い切り草野球ができて楽しい」と返ってきたという有名なエピソードがあります。
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田中光代さんは、誰よりも爆笑問題のファンであり、
爆笑問題が無くなってしまうのを阻止したい一心で事務所を立ち上げたそうです。
太田裕二さんと違い、お笑い以外できない太田光さんの身を案じたというのもあるかもしれませんね。
太田光代さんは、当時まだ太田プロに所属していたので、そのツテで爆笑問題を太田プロに謝罪させて和解させました。
さらに、その営業力のおかげで、1994年にはテレビ朝日に出演を果たしています。
その番組は、テレビ朝日「GAHAHAキング」という、若手のお笑い芸人たちが審査員たちの審査で勝ち抜いて残っていくという番組でした。
爆笑問題は、ストレートで10週勝ち抜いて初代チャンピオンになりました。
華々しく、再ブレイクを果たしたのです。
太田光代さんも爆笑問題のお二人もすごいですね!
いろんなエピソードから応援したくなる3人です。
そこらへんも人気の秘密かもしれませんね。